能登と共にその後… フェス後も続く能登とのえん…縁…宴?

はじめに

 能登応援オンラインフェス終了後の6月24日、こころのお父さん彦さんが退院しました。実の父以上の存在である彦さん。もちろん、まさこは彦さんの24時間看護体制に入り込み、1週間の入院ですっかり崩れてしまった体調の回復の為に全力投球です。ご家族の意向もあり、6月30日に元ホステラーの助けも借りて、彦さんを能登応援フェスの会場でもあった「海の家かつらざき」に移動しました。ここは彦さんの生きがいだった元ユースホステルです。きっと、ここで全国に居る元ホステラーたち(彦さんの子どもたち)が気合いを入れに来てくれれば、元気を取り戻すはず…。そして、思惑通り不死鳥のように復活していきました。マッスグ・ローチさんのビデオを見ながら、一緒に「星影のワルツ」を歌うまでになってきております。でも、歩けるようになるまではもう少しですね。皆さま、ご心配ありがとうございます。

茜の会 

 フェスで現地インタビューにご協力頂いた新谷工芸の新谷茂さん。その後も、何かと私の心配までして下さっていました。8度目の奥能登入りで、「茜の根を掘りませんか?」とお誘い下さいました。しかも、能登応援オンラインフェスで取材に来てくれた北陸中日新聞穴水支社の方が異動になるとのことで、「海の家かつらざき」に泊まりたいとのこと。送別会後の宿がないからとのことでした。そんなご縁もあり、送別会にも ご一緒していいとのことでした。まず、彦さんの息子さんに見守りを変わってもらい、夜の宴会用の差し入れを色々持って茜の根を掘りに行きました。3年ものの日本茜の根を掘るとの事。日本茜自体、前回苗つけのバイトをさせて頂くまで知りませんでした。染めの世界でも日本茜は希少です。根を掘らせて頂くなど、これまた貴重な体験!道に迷って遅れて畑に着いたら、既に根を1株掘り上げて汗だくの新谷さん。私はその根の土を払って茜の根をバケツに集めて行きます。根の色で茜と直ぐわかる程、普通の根とは色が違うのです。ひげ根だけでも素敵に染まりそう。二人で1時間ほど作業をして、一旦帰ってまた少し彦さんのお世話をしてシャワーを浴び、夕方迎えに来ていただきました。「茜の根を掘ったのだから、胸を張って茜の会のメンバーですよ。」と笑う新谷さん。そういうことか…。茜の会のメンバー4名と中日新聞さんと私。草木染の絞りの講師もしている奥さんの手作りイシルのタレで焼いた五平餅のようなご飯、地元のお寿司屋さんのお寿司、オードブル、私が差し入れした手作りのキュウリの漬物4種類とナメラとタコのお刺身。ビールと「虎の涙」という焼酎を結構頂いて、上機嫌で中日新聞さんと帰ってまいりました。

わたしも能登人? 

 昨日、元ホステラーの友人から電話が掛かってきて、「すっかり能登弁になって染まってますね」そう笑われました。金沢の元ヘルパーからは、「いつ奥能登に引っ越すの?」と言われます(;’∀’)。「いや~、私には夫も息子も舅もいますから…。」そう言いながら、6月の半分以上は奥能登の人となっておりました。そして、7月も? 新谷さんから「生の茜の根で染めてみますか?」とメッセンジャーが!行ってきます‼

 

わくわくサポート隊 能登応援フェス現地担当 まさこ

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